笹生那実
Sasou Nami

生日:1955-05-27
年齡:70
性別:
身高: cm
日本の漫畫家、同人作家。夫は漫畫家の新田たつお。 小學生の時、美內すずえの『山の月と子だぬきと』に衝撃を受けてファンになるとともに、中學進學と共に『別冊マーガレット』への投稿を始める。『別冊マーガレット』1973年8月號において「風に逢った日」でデビュー。當時のペンネームは笹尾なおこ。同年の夏、くらもちふさこと共に美內すずえの元でアシスタントを務めた事をきっかけとして、多くの少女漫畫家のアシスタントを経験しつつ、笹生那実あるいは、さそうなみのペンネームで『花とゆめ』『別冊ビバプリンセス』『JOURすてきな主婦たち』などの雑誌に、1987年頃まで作品を発表する。子育てのため、32歳で商業漫畫家を一旦引退する。 くらもちふさことは鈴木光明の運営していた畫塾(漫畫勉強會)「三日月塾」の同志(ただし、くらもちの方が入塾もデビューも先)であり、同い年という事もあって交流も深かった。學生時代は帰省の度にくらもちの元に入り浸り、押しかけ同然にアシスタント活動をしていた。この頃にくらもちは『わずか5センチのロック』(1976年)を上梓するも、肝心の主人公が所屬するバンドの名稱が決まらず[6]悩んでいたところ、事情を聞きつけた笹尾(笹生)が、くらもちのアイディアを元に「蘭丸団」のバンド名を提案する。そのアイディアを受けたくらもちは即座に採用を決め、結果、バンド名は寫植貼付後という雑誌印刷に回すギリギリの時點で変更された。この事から、くらもちより蘭丸団(シリーズ)の名付け親と稱されている。 商業漫畫家引退後、三原順(1995年沒)の作品が『はみだしっ子』しか刊行されていなかったため、1998年より「三原順作品刊行を求める會」というサークル名で同人活動を始める。サークルとしての當初の目的が一応の達成を見た現在は「三原順ファンPARTY」というサークル名で、三原順研究本の他、樹村みのり研究本、1960〜1970年代少女マンガ研究エッセイ等を出版。2006年からは「ひつじ座」というサークル名でコミティアに參加している。 2020年、漫畫家の山下和美が進めていた、東京都世田谷區豪徳寺の洋館(舊尾崎行雄邸)保存運動を知り、夫妻で協力した。
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日本の漫畫家、同人作家。夫は漫畫家の新田たつお。 小學生の時、美內すずえの『山の月と子だぬきと』に衝撃を受けてファンになるとともに、中學進學と共に『別冊マーガレット』への投稿を始める。『別冊マーガレット』1973年8月號において「風に逢った日」でデビュー。當時のペンネームは笹尾なおこ。同年の夏、くらもちふさこと共に美內すずえの元でアシスタントを務めた事をきっかけとして、多くの少女漫畫家のアシスタントを経験しつつ、笹生那実あるいは、さそうなみのペンネームで『花とゆめ』『別冊ビバプリンセス』『JOURすてきな主婦たち』などの雑誌に、1987年頃まで作品を発表する。子育てのため、32歳で商業漫畫家を一旦引退する。 くらもちふさことは鈴木光明の運営していた畫塾(漫畫勉強會)「三日月塾」の同志(ただし、くらもちの方が入塾もデビューも先)であり、同い年という事もあって交流も深かった。學生時代は帰省の度にくらもちの元に入り浸り、押しかけ同然にアシスタント活動をしていた。この頃にくらもちは『わずか5センチのロック』(1976年)を上梓するも、肝心の主人公が所屬するバンドの名稱が決まらず[6]悩んでいたところ、事情を聞きつけた笹尾(笹生)が、くらもちのアイディアを元に「蘭丸団」のバンド名を提案する。そのアイディアを受けたくらもちは即座に採用を決め、結果、バンド名は寫植貼付後という雑誌印刷に回すギリギリの時點で変更された。この事から、くらもちより蘭丸団(シリーズ)の名付け親と稱されている。 商業漫畫家引退後、三原順(1995年沒)の作品が『はみだしっ子』しか刊行されていなかったため、1998年より「三原順作品刊行を求める會」というサークル名で同人活動を始める。サークルとしての當初の目的が一応の達成を見た現在は「三原順ファンPARTY」というサークル名で、三原順研究本の他、樹村みのり研究本、1960〜1970年代少女マンガ研究エッセイ等を出版。2006年からは「ひつじ座」というサークル名でコミティアに參加している。 2020年、漫畫家の山下和美が進めていた、東京都世田谷區豪徳寺の洋館(舊尾崎行雄邸)保存運動を知り、夫妻で協力した。
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