泉晴紀と久住昌之の2人からなる漫畫家コンビ。久住が原作、泉が作畫を擔當する。 泉晴紀と久住昌之は、美學校で知り合った。久住が泉の、當時の漫畫界の流行とは外れた暗い劇畫タッチの作畫を面白がり「この作畫ですごく細かいコトにコダワル話を書いたら面白い」と合作を提案。なお「細かいコトにこだわる」のは久住の性格である。ペンネームを「泉昌之」にしたのは、當時の『ガロ』編集長の長井勝一が、合作を嫌っていたためであった。 1981年に「夜行」を『ガロ』に持ち込みデビューする。泉昌之を代表するキャラクターである、アラン・ドロンをモデルにしたハードボイルドな「トレンチコートのおじさん」(エッセイ集「久住昌之の人生読本」では「本郷播」という名前で登場。苗字のみ「食の軍師」にも出てくる)が登場し、駅弁の幕の內弁當をいかに美味しく食べるかにこだわりまくる作品である。その後も『ガロ』を中心として活躍する。1990年頃からしばらく「泉昌之」名義を使用していなかったが、1996年頃から再びこの名義で作品を発表している。 日常の細事を綿密・過剰に描く作風に特徴がある。特に食べ物には異常なこだわりを示し(『夜行』『かっこいいスキヤキ』など[1])、南 (2013, p. 19) は〝みみっちい食の美學〟を描かせたら右に出るもののないと評している。 初期にはウルトラマンを題材としたパロディ作品も多かったが、権利関係の問題から(円谷プロダクションに許可を得ていなかった)新作は途絶えており、改訂版の単行本では內容が差し替えられていることがある。なお、その後、テレビCM等で「ウルトラマンが人間の日常世界に、等身大で登場して、凡人並の行動をする」作品が頻繁に作られており、久住は「最初にアイディアを考えたこちらに一報もないのは腹が立つ」とエッセイに書いている。 1992年から4年間『小學五年生』で「キッチョメン!石神井先生」を連載。幾帳面すぎる小學校教諭を題材にしたギャグ漫畫であり、グミ、裸眼立體視、恐竜(映畫『ジュラシック・パーク』)、サッカーJリーグ、キョンキョンのようなアイドルのコンサートなど、連載當時流行した事物と絡めた時事ネタが多數登場する。本作にも冷やし中華の調理を細かく描寫した回が存在する。
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泉晴紀と久住昌之の2人からなる漫畫家コンビ。久住が原作、泉が作畫を擔當する。 泉晴紀と久住昌之は、美學校で知り合った。久住が泉の、當時の漫畫界の流行とは外れた暗い劇畫タッチの作畫を面白がり「この作畫ですごく細かいコトにコダワル話を書いたら面白い」と合作を提案。なお「細かいコトにこだわる」のは久住の性格である。ペンネームを「泉昌之」にしたのは、當時の『ガロ』編集長の長井勝一が、合作を嫌っていたためであった。 1981年に「夜行」を『ガロ』に持ち込みデビューする。泉昌之を代表するキャラクターである、アラン・ドロンをモデルにしたハードボイルドな「トレンチコートのおじさん」(エッセイ集「久住昌之の人生読本」では「本郷播」という名前で登場。苗字のみ「食の軍師」にも出てくる)が登場し、駅弁の幕の內弁當をいかに美味しく食べるかにこだわりまくる作品である。その後も『ガロ』を中心として活躍する。1990年頃からしばらく「泉昌之」名義を使用していなかったが、1996年頃から再びこの名義で作品を発表している。 日常の細事を綿密・過剰に描く作風に特徴がある。特に食べ物には異常なこだわりを示し(『夜行』『かっこいいスキヤキ』など[1])、南 (2013, p. 19) は〝みみっちい食の美學〟を描かせたら右に出るもののないと評している。 初期にはウルトラマンを題材としたパロディ作品も多かったが、権利関係の問題から(円谷プロダクションに許可を得ていなかった)新作は途絶えており、改訂版の単行本では內容が差し替えられていることがある。なお、その後、テレビCM等で「ウルトラマンが人間の日常世界に、等身大で登場して、凡人並の行動をする」作品が頻繁に作られており、久住は「最初にアイディアを考えたこちらに一報もないのは腹が立つ」とエッセイに書いている。 1992年から4年間『小學五年生』で「キッチョメン!石神井先生」を連載。幾帳面すぎる小學校教諭を題材にしたギャグ漫畫であり、グミ、裸眼立體視、恐竜(映畫『ジュラシック・パーク』)、サッカーJリーグ、キョンキョンのようなアイドルのコンサートなど、連載當時流行した事物と絡めた時事ネタが多數登場する。本作にも冷やし中華の調理を細かく描寫した回が存在する。
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